-実演芸術の価値-
人が演じ、歌い、語り、奏で、舞い、踊る、生きた人間の身体表現である芸術分野の総称を「実演芸術」と言います。絵画や美術工芸品、映像、建築など形のあるものと異なり、人々と共有する一瞬にすべてを「懸ける」芸術です。
日本には、古くから祭祀に由来する多彩な芸能があり、神々、霊への祈りや自然への畏敬と感謝、共同体の誇りが込められ、現在も全国各地のお祭りで奉納されるなど、多くの民俗芸能が継承されています。それらは現在、観客に向けて公演されている伝統芸能のルーツでもあります。
例えば、様々な民俗芸能が混じり合い派生した能楽は、室町時代から650年以上の歴史があり、世界で一番古くから現存する演劇といわれています。また、世界各国では時代によって芸能が自然淘汰されることが多いのですが、日本では能楽の影響を受けて発展してきた歌舞伎を例にみても、それぞれのジャンルが共存しながら歴史を歩み続けています。
海外との交流が盛んになると、様々な芸能や楽器が流入してきました。例えばクラシック音楽は明治初期の導入から既に150年以上の歴史を刻み、日本のオーケストラ数はアジア最多で愛好者も多く、日本人の文化として定着しています。バレエは子供の習いごととして人気が高く、学校でダンスの授業が取り入れられて以降、さらに幅広いジャンルのダンスが親しまれています。
日本全国に数多ある地域芸能・祭りを含め、日本人の暮らしは芸能と共にあり、日本は世界でも稀にみる多様な芸能文化が息づいている国です。
2020年、緊急事態宣言の最中、国内のある劇場でワーグナーのオペラが上演されました。客席に観客が一人もいない異様な空気感のなか、世界同時配信された同公演の模様を、世界30カ国約41万人の人々が画面越しに見守りました。
毎年苗場で行われているロックフェスも2020年は公演中止となりました。そこで、本来開催される予定だった日時に過去のフェスの模様を配信。こちらも世界中で1200万回を超える視聴者数となりました。
公演やフェスが中止にならざるを得ない、このような状況下でも人々が心の底から実演芸術を欲する。おそらくこれは根源的な欲求なのでしょう。
地域のお祭りもほとんどが中止となりました。お祭りが数年にわたって開催されないということは、単に賑わいがなくなるだけでなく、地域が守り続けてきた郷土芸能が継承されなくなる危険性や、地域のアイデンティティの崩壊につながる可能性があるなど様々な側面があります。
緊急事態宣言や公演関係者の感染による中止に怯える中、工夫を重ね、いくつか公演実施に漕ぎ着けた例もあります。これはコロナとの闘いであることはもちろん、時間との闘い、そして予算との闘いの日々でした。
2024年にはようやくコロナ禍が落ち着き、劇場、フェス、お祭りに人が戻ってきました。我々はどれほどこの瞬間を待ち望んでいたことでしょう。劇場やフェスの会場は万雷の拍手に包まれ、お祭りの再開では誰もが喜びを分かち合いました。配信では得がたい体験を人々がどれだけ欲していたか、まさに根源的に求める価値が再認識される機会となりました。
フェスやコンサートに行って音楽に触れた人は触れていない人に比べて、主観的幸福度が平均的に高いことが、調査(※1)で報告されています。また、2週間に1回コンサートに行くことで、幸福感や充実感、自尊心が上がり、寿命が9年も延びる可能性があることも発表(※2)されています。
さらに、医療介護の現場で音楽療法を受けた認知症患者の67%に興奮症状の軽減と、投薬の必要性の減少が見られたという報告(※3)もあります。
このように、実演芸術が人間のウェルビーイングに大きく貢献していることが、海外の研究からも明らかになっています。
※1:オーストラリア ディーキン大学
※2:イギリス ゴールドスミス・カレッジ パトリック・フェイガン准教授
※3:英国の超党派議員連盟(All-Party Parliamentary Group on Arts, Health and Wellbeing)刊行 報告書『クリエイティブ・ヘルス:健康とウェルビーイングに寄与する芸術活動』
実演芸術をまちづくり・まちおこしに活用しようという事例もたくさんあります。まちおこしとして全国各地に広がった「よさこい」や「阿波踊り」などもそのひとつでしょう。
また、近年では、芸術祭を催すことで地域振興を図ろうとする動きも盛んになっています。
静岡で開催されている『豊岡演劇祭』『ふじのくに せかい演劇祭』、沖縄の『りっかりっか*フェスタ』などは演劇祭の開催によって、全国から観客を誘致することに成功しています。
「フジロックフェスティバル」をはじめとする大規模なロックフェスの他に、地方都市出身のアーティストが地元を盛り上げるために開催しているフェスなどもたくさん開催されています。
社会的包摂とは、社会的にあらゆる人々を包み込み、「誰一人取り残さない」ことを目指す理念です。
学校などに実演芸術を届けるアウトリーチ活動は、様々な背景をもつ特別支援学校の児童・生徒に対しても実施されています。障がいの特性に配慮することで、誰もが実演芸術にふれることができ、それは日常的な喜びや、毎日を生きるための活力につながります。社会の構成員はみんな等しく実演芸術を楽しむ文化的権利を持っています。
最近では聴覚障害者を対象とした、オーケストラのコンサートも企画されています。音は聞こえなくとも、光や振動などで音楽を体感しながら、生身の人間が演奏にのせるメッセージが観客の心に響き、感情を揺さぶります。初めて音楽を「聴」いた彼らは、目を輝かせて興奮していました。また、障害を持った方が健常者と共に参加する劇団なども多数存在しています。
受け手としても送り手としても、実演芸術を楽しむ当然の権利を保障する、それがこれまでも、そしてこれからも我々が担うべき社会的責務のひとつであると考えられます。
実演芸術などの文化芸術の社会的な価値については、世界的に1960年代ごろから形成されてきた5つの共通認識が存在します。文化芸術を楽しむ「享受層」だけでなく、文化芸術にはあまり触れないという「非享受層」の人々も、これらの価値を認識していることが、コロナ禍において日本で実施され意識調査からも見えています。
・存在価値:多様な文化芸術は社会に不可欠な要素として、存在すること自体の価値。鎮魂や無病息災の願い、豊穣の祈りなど、実演芸術と深くかかわる根源的なものです。
(なくてはならない・人と人をつなげる力、コミュニティを活性化する力がある)
・選択的(オプション)価値:今はコンサート等に行かない人でも、いつか行こうと思ったときに、身近で味わえる選択肢があるという価値。
・威光価値:文化芸術はその地域や国のイメージの形成に貢献し、地域の人々の誇りをもたらし、地域のアイデンティティの維持につながるという価値。
(国や地域のイメージ形成や、誇り・アイデンティティの形成に重要だ)
・遺贈価値:次世代が芸術の価値を享受できるように、芸術を継承し、提供し続けることは重要だという価値。
(次世代のために継承・継続することは重要だ)
・教育的価値:芸術活動がおこなわれ、それを享受していくことで、芸術家の表現から想像力を膨らませ、審美的な能力や創造力が高まり深まっていくという価値。
(人と人をつなげる力、コミュニティを活性化する力がある)
[国民の実演芸術に対する意識についての調査結果](2021年)
いずれの価値も全体で7割以上が「そう思う」と肯定しています。また、非行動者層(非享受層)の5割以上が「そう思う」と肯定していることが選択的価値を示しています。全体と非行動者層(現在は実演芸術の鑑賞等を行っていない)の差は15%前後にとどまり、「次世代のために継承・継続することは重要だ」「国や地域のイメージ形成や、誇り・アイデンティティの形成に重要だ」という意識が全体的に高いことがわかります。
①なくてはならないもの(存在価値)
②人と人をつなげる力、コミュニティを活性化する力がある(存在価値・教育的価値)
③次世代のために継承・継続することは重要だ(遺贈価値)
④国や地域のイメージ形成や、誇り・アイデンティティの形成に重要だ(威光価値)
※いずれも非行動者層が「そう思う」ことが選択的(オプション)価値
このように、実演芸術には捉えきれないほどの価値があると言われています。多くは、データでは示しにくく、普段は意識されていなかったり、価値が十分に活かされていない状況もあります。しかし、コロナ禍において世界から生の実演芸術が突然消えたとき、人々はその価値を改めて実感しました。
実演芸術が豊かな社会をつくる。
私たち芸団協はそう信じて、この価値を我が国の誰もが享受できる環境を作るために活動しています。